ヘルタースケルターの見どころは?

前回のページではヘルタースケルターについて、作者がどういった世界観を作品中に込めているのかについて推測しました。ここで取り上げたテーマとして「バブル」という時代があります。バブル時代とは1980年代の後半から、1990年代の前半辺りを指します。この時代、日本は世界に先駆けた好景気を体現しました。ニューヨークのタイムズスクエアを買い占めたことを記憶している人も多いのではないでしょうか。そのような時代も今は昔。現在はもちろんタイムズスクエアは日本の土地ではありません。バブル時代はまるで魔法のように、その効力を失い、今ではその時代の幻影を求めて、ありもしない投資話を持ちかけるような違法者もいます。それほどにバブル時代は人々の心の奥底に居座り続けています。

ヘルタースケルターで描かれている時代性という観点で考えた時に、そのような「時代性」について、無視するわけにはいきません。また、作者も時代性を的確に捉え、作品中に時代性というエッセンスを振りまいています。そのことは当時を知る人にとっては懐かしく、知らない世代にとっては、まるで御伽噺の世界のように見えつつも、私たちがフランスのデカダンスに惹かれるとき、その時代を実体験していたのかというと、決してそうではない場合でも、大いにデカダンスに惹かれるメンタリティを有していることと無関係ではない心理が、そこには働いていると言えるでしょう。

時代の息遣い、という言い方もできるかもしれません。そういった「空気感」をヘルタースケルターを書きながら、作者は読者に対し問いかけ、突きつけていたのではないでしょうか。そのような時代性を体現する表現者として、作者は稀有な存在だと言えます。

時代性がヘルタースケルターの大きなテーマであるとお伝えしましたが、それと同時に作品の全編をおおっていることとして、「破壊」もしくは「破滅」といったことが挙げられます。しかしもちろん、それだけでは作品としての面白さにはつながりません。面白さを追求することが漫画にとっての命題ですから、そのあたりについてもヘルタースケルターは充分に条件を満たしています。

それでは次回のページでは、ヘルタースケルターに垣間見える世界に何が隠されているのかについて、詳しく解説していきたいと思っています。